ひみつ電柱採集記

おもな出来事------

2015年12月
ひみつ電柱採集を開始。


2016年7月10日
採集電柱が100本を突破。


2016年12月6日・2017年1月3日
金沢市外で初採集


2017年2月25日
図書館で昔の名簿を見る


2017年3月16日
ポストひみつ電柱を発見




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2015年12月
ひみつ電柱採集を開始。記念すべき1本目は片町に設置されていた「東洋商事」。


ひみつ電柱「東洋商事」

クリスマスも近い12月のある日のこと。
「町で見つけた気になるもの」の写真をスマホで撮り集めている 私は、スマホに入っている写真一覧をなんとなく眺めて気がついた。
「古い電柱の写真、多い」
一番初めに撮ったのは金沢市片町にある「東洋商事」と書かれた電柱。それ以外に4枚ほど、古い電柱の写真がスマホに保存されている。よく見たら会社の広告のよう。でもよく見るトタンの広告ではなくて、コンクリの柱へ直に描かれている。
「もし他に見つけたら、写真を撮って集めてみよう」
長いひみつ電柱探しの旅路のはじまりであった。

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2016年7月10日
採集電柱が100本を突破。記念すべき100本目は石引・一本松陸橋上に設置されていた「○○内○」(○部分は判読不能)。


ひみつ電柱「????内??」

当初は「もし他に見つけたら、写真を撮ろう」ぐらいの気持ちだったが、
次第にひみつ電柱を探すために街を歩き回るようになった。
そしてついに、とっても暇な7月10日。本多町〜石引周辺をうろうろしている間にひみつ電柱の採集本数は100本を迎えた。
記念すべき100本目は、一本松陸橋という陸橋の上に設置されていた。100本目でも一本松。

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2016年12月6日、2017年1月3日
金沢市外で初採集(富山県高岡市末広町・三重県玉城町田丸にて)



ひみつ電柱「喫茶????」

高岡へ遊びに行った日、ひみつ電柱を見つけた。
場所は高岡駅からまっすぐ伸びている商店街の中。「喫茶○○」と書かれてている。
その約1ヶ月後の2017年1月3日、帰省先の三重県玉城町田丸でも「○野電気商会」というひみつ電柱を見つけた。


ひみつ電柱「??野電気商会」

この場所はなんと、私の中学3年間の通学路。
こんな懐かしい場所にもひみつ電柱が・・・感無量。

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2017年2月25日
図書館で昔の名簿を見る


ひみつ電柱は、現在よく目にするトタン広告電柱の前身だと思う。
ではひみつ電柱は、いったいどの時期まで作られて、どの時期にトタンに成り代わられてしまったのだろう?
ひみつ電柱に広告を出している会社がいつのものなのかを知りたいと思い、図書館を訪ねた。

資料閲覧室でレファレンス。
「金沢に昔存在していたお店や会社がわかる本はないか」という問い合わせに、司書が根気強く応じてくれた。
司書が紹介してくれたのは、 金沢商工会議所が発行した「特定商工業者名簿」。
昭和30年代以降のほぼ毎年度分を閲覧できるようになっている。
司書「どの年度のものを閲覧しますか?」
深く考えず、何となく昭和35年度と昭和51年度を選び、書庫から出していただく。
私「じゃあ、この昭和35年度と昭和51年度で。」
司書「・・・え、これでいいんですか?わかりました・・・」
「こんなに適当に、ババ抜きみたいに選んで。もっとちゃんと根拠を持って選んでくれ!」という司書の心の声が聞こえてしまった。

100件を超えるひみつ電柱の全てを記載をチェックするのは大変なので、
まずは初期に採集した30件ほどの電柱に書かれていた店名と、昭和35年度版・昭和51年度版の名簿とをつきあわせた。
名簿に記載があったもののなかで一番若いのが「京冨商店」で、昭和42年創業。
というわけで、少なくとも昭和42年以降にも「ひみつ電柱」は生まれていたことになる。


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2017年3月16日
ポストひみつ電柱であるところのトタン広告電柱を発見(広島県向島)


向島の電柱「せいのカメラ店」

広島県向島を歩いていると、既視感のある貼り電柱広告が見つかった。

既視感の原因は「手書き」にあった。トタンの板にペンキで手書きしてある。
新しい広告のように光沢もなく、キシキシしている。




店名と電話番号だけを書くというシンプルさや、 文字の配置もひみつ電柱に近い。
ひみつひみつ電柱からトタン広告電柱への移行期の、ポストひみつ電柱?



ひみつ電柱の旅はまだまだ続く。





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